MACCHOの交通事故と「The Phoenix(will rise)」
2003年、生死をさまよった交通事故
2003年にアルバム「JUICE」をリリースし、キャリアを順調に積み上げていたMACCHOに、突然の悲劇が訪れます。
アルバムリリース直後に交通事故に遭い、一時生死をさまよう事態となりました。
幸い一命は取り留めましたが、その直後に相方のDJ TOMOが音楽性の違いによりOZROSAURUSを脱退するという追い打ちが続きます。
逆境を超えて生まれた「The Phoenix(will rise)」
事故とメンバー脱退という二重の逆境を乗り越えたMACCHOは、DS455との新レーベル「BAY BLUES RECORDZ」を設立し活動を再スタート。
2006年の3rdアルバム「Rhyme & Blues」収録曲**「The Phoenix(will rise)」**は、死の淵から蘇った経験を直接的なテーマとした楽曲で、「生きている」ことの大切さをシーンへ問いかける内容として大きな反響を呼びました。
フェニックス(不死鳥)というタイトルそのものが、交通事故から復活したMACCHOの姿と重なり、多くのリスナーの心を打ちました。
MACCHOの肺の疾患について
交通事故での重傷に加え、肺の疾患という健康上の問題にも直面しながら、MACCHOは活動を継続してきました。
「喋ることができるだけで幸せ」という発言がインタビューで残されており、声とマイクという表現の道具が一時は失われるかもしれなかったという経験が、MACCHOのラップへの向き合い方をより深いものにしているといえます。
MACCHOと般若の関係
MACCHOと般若、2人の間には楽曲を通じた縁があります。
たとえば、「般若 / 土砂降りでも Remix feat. Benjazzy (BADHOP) , MACCHO (OZROSAURUS)」「MACCHO , NORIKIYO , 般若& DABO / Beats&Rhyme」「般若 / ジレンマ feat. MACCHO(OZROSAURUS)」「孤高の芸術 / MACCHO , RYUZO & 般若」など、東京を拠点にする般若と横浜のMACCHOがタッグを組んだコラボ楽曲は多数あります。
「MARIAの好きなラッパーはMACCHOさん」という話も知られており、シーン内での尊敬・信頼の高さが伝わってきます。
ANARCHYをはじめとした多くの後世のラッパーに影響を与えてきたMACCHOの存在は、世代を超えたリスペクトの対象であり続けています。
OZROSAURUSの新体制と現在の活動
2015年以降、OZROSAURUSは6人組のバンド編成へとリニューアル。
MACCHOをフロントに、ギター・ベース・ドラム・キーボードというバンドサウンドを加えた形での活動が始まりました。
2006年の横浜BLITZでの初ワンマンライブでは、ストリングス部隊(ヴァイオリン・チェロ・ヴィオラ)とグランドピアノを加えた「伝説のステージ」を作り上げたOZROSAURUSが、バンド編成へと舵を切ったことで、さらに表現の幅を広げています。
2026年7月時点でもMACCHOは精力的に活動を続けており、最新情報は公式Instagram(@ozrosaurus_official)やOZROSAURUSの各SNSで確認できます。
MACCHOとウェストコーストサウンドの日本定着
MACCHOがシーンに残した最大の功績のひとつが、アメリカ西海岸のウェストコーストサウンドを日本語ラップに定着させたことです。
Dr.Dre・2Pac・Snoop Doggらが作り上げたG-FUNKの影響を日本語ラップに組み込み、横浜という港町の空気感と融合させたMACCHOのスタイルは、「045スタイル」として後世のラッパーたちの手本になっています。
「ウェストサイドの流派に日本語を乗せた第一人者」という評価は、日本語ラップ史を語るうえで外すことのできない功績です。
MACCHOの音楽スタイルと世界観
「どの口が何言うかが肝心」という哲学
MACCHOの音楽の根底にある思想を最も端的に表すのが、**「どの口が何言うかが肝心」**というフレーズです。
言葉の重さはそれを発する人間の生き方と経験によって決まる——交通事故から生還し、肺の疾患を乗り越え、メンバーの脱退という逆境を超えてもラップを続けてきたMACCHOの言葉は、まさに「その口」から出るからこそ刺さるのです。
横浜へのリスペクトと「045レペゼン横浜」
MACCHOのリリックの一貫したテーマが「横浜への愛」です。
「045」という横浜の市外局番を冠した1stアルバムのタイトルに始まり、アルバム「Rhyme & Blues」の「Blues」という言葉が横浜の港町の哀愁と重なるなど、MACCHOの音楽は常に横浜という場所と切り離せない関係にあります。
「レペゼン横浜」は単なるスローガンではなく、MACCHOが自らの全キャリアを通じて体現してきた生き方そのものです。
