「お金にしがみつかず、自分が楽しいことだけやっていけば、今のオレみたいになれる」——この言葉が、SEEDAというラッパーの生き方をそのまま表しています。
東京都出身のラッパー・SEEDA(シーダ)。
本名は吉田なおひと(よしだ なおひと)、1980年11月17日生まれ。
3歳からニュージーランドで、小学1年から中学1年までロンドンで育ち、帰国後に日本語ラップへと飛び込んだ。
SCARS『THE ALBUM』と『花と雨』という日本語ラップ史に残る2枚のクラシックを世に出し、13年振りのアルバム『親子星』(2025年)でシーンに大きな波紋を呼んだ。
今回はSEEDAについて徹底的に調査した内容をお伝えします。
SEEDAのプロフィール早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| アーティスト名 | SEEDA(シーダ) |
| 本名 | 吉田なおひと(よしだ なおひと) |
| 生年月日 | 1980年11月17日 |
| 年齢 | 45歳(2026年7月時点) |
| 出身地 | 東京都(ロンドン育ち) |
| 身長 | 非公開 |
| 嫁 | EMI MARIA(歌手) |
| 子供 | 息子(「親子星」のモデル) |
| 所属クルー | SCARS |
SEEDAの読み方・本名・名前の由来について
SEEDAの読み方は**「シーダ」**です。
本名は**吉田なおひと(よしだ なおひと)**で、アーティスト名の由来は苗字の「YOSHIDA」を崩して「SHIDA」→「SEEDA」と変化させた流れにあります。
活動初期は**「SHIDA」**という名義を使っており、1999年のデビュー1stアルバムは「SHIDA名義」の『デトネイター』でした。
「SEEDA」という名前自体が自分のルーツと英語圏での経験を組み込んだ命名であり、ロンドンで育ったSEEDAらしいセンスが滲んでいます。
SEEDAの年齢・身長・筋肉について
SEEDAは1980年11月17日生まれで、2026年7月時点で45歳です。
身長は非公開です。
体型については、2025年のアルバム『親子星』リリース時に「SEEDAが全裸で登場」というニュースが音楽ナタリーに掲載され大きな反響を呼びました。
本人は「健康のために鍛え始めたら、だんだん強くなりたくなってきた」と語っており、体調を崩した時期を経て本格的なトレーニングを始めたことが明かされています。
「昔はもっと華奢なイメージが」とインタビュアーにも驚かれるほど、現在の鍛え上げられた肉体はSEEDAの新たな一面として話題になっています。
SEEDAの出身・生い立ち【ロンドン育ち・志木・川崎との関係】
東京生まれ、ロンドンで育った少年時代
SEEDAは東京都に生まれましたが、3歳からニュージーランド、小学1年から中学1年までイギリス・ロンドンで育ちました。
この英語圏での生活が、SEEDAの英語への親しみと、帰国後に日本語ラップに独自のフロウを持ち込む素地を作りました。
帰国後は高校で慶應義塾高等学校に進学しましたが途中退学しており、ラップの道へ傾倒していきます。
埼玉・志木との関係
**「SEEDA 志木」「SEEDA 埼玉」**というキーワードについては、SEEDAが埼玉県志木市を活動の一拠点として使っていた時期と関係しているとみられています。
ただし出身地は東京都であり、埼玉はあくまで活動拠点のひとつとして認識するのが正確です。
川崎との関係
「SEEDA 川崎」については、SEEDAが加入したクルー「SCARS」が川崎を拠点に活動していたことが背景にあります。
川崎はSEEDAのキャリアにおいて最も重要な場所のひとつで、SCARS『THE ALBUM』や『花と雨』のリアリティの根底にあるストリートの空気も、この川崎との縁から来ています。
楽曲「Kawasaki Blue」(アルバム『親子星』収録)のタイトルからも、川崎がSEEDAにとって特別な意味を持ち続けていることが伝わります。
SEEDAの生い立ちと「花と雨」の背景
SEEDAの生い立ちで特に語られるのが、姉の死にまつわるエピソードです。
SEEDAの代表曲「花と雨」は亡き姉に捧げた曲として知られており、詳細な事情については本人が多くを語っていませんが、同曲には「2002年9月03日」という日付に近い意味を持つリリックが存在するといわれています。
「花と雨」が生まれた背景に、この深い喪失体験があったことは、楽曲の重さと温かさの両方を説明するものとして、多くのリスナーに知られています。
SEEDAの父親と家族について
**「SEEDA 父親」**について、SEEDAは子供の頃に両親と姉の4人暮らしだったことを語っています。
3歳からニュージーランド、小学生でロンドンへという環境を考えると、裕福な家庭環境で育ったとみられますが、父親についての詳細な情報は公開されていません。
SEEDAとSCARSの結成
1999年にSHIDA名義で1stアルバム『デトネイター』でデビューしたSEEDAは、2003年に川崎を拠点とするヒップホップクルー「SCARS」に加入します。
SCARSのメンバーはA-THUG・STICKY・BES・bay4kらで、それぞれが川崎のストリートで培った経験をそのままリリックに変える集団でした。
2006年にリリースされたSCARS『THE ALBUM』は、日本のヒップホップ史においてクラシックとして語り継がれる作品となり、ハスリングやストリートのリアルを日本語で歌うという新たな地平を切り開きました。
SEEDAとVERBALのビーフと「L.P.D.N.」での和解
SEEDAのキャリアで長年語り継がれているのが、**m-floのVERBALとのビーフ(楽曲を通じた公然の対立)**です。
ギネスレコードへのアンサーとして始まったこの出来事は日本語ラップシーン内で有名な話として残っていますが、2025年のアルバム『親子星』収録曲**「L.P.D.N. feat. VERBAL」でついに和解が実現**しました。
SEEDAは「ビーフのまま終わるのは絶対違うと思っていた」と語っており、和を重んじる姿勢で長年の遺恨に決着をつけました。
レコーディングにはVERBALのエンジニアが偶然『CONCRETE GREEN』の初期メンバーだったという縁もあり、「全部、宇宙の流れに感謝です」というSEEDAの言葉が印象的です。
SEEDAの嫁・EMI MARIAについて
SEEDAの妻は歌手のEMI MARIAです。
EMI MARIAはパプアニューギニア人とのハーフで、7オクターブの音域を持つ実力派シンガーとして知られています。
2人の間には息子がいます。
SEEDAが2025年にリリースしたアルバム『親子星』のタイトル曲は、この息子との実体験をもとに作られた楽曲です。
夜に2人で歩いていた時、息子が「あの星はお父さん、横にあるあの星は僕。親子星だね」と言った言葉が楽曲のタイトルになったというエピソードが、『親子星』というアルバムの温かさの核心になっています。
SEEDAと引退・復帰・スランプの時代
2009年の引退宣言と復帰
2009年、SEEDAは突然の引退宣言を行いますが、約半年後に復帰を宣言しています。
その後も「歌詞が書けなくなった時期」が続いたことをFNMNLのインタビューで明かしており、「『BREATH』の頃から書けなくなった」という告白はシーン内で大きな反響を呼びました。
生活保護の申請と排水溝掃除のアルバイト
アルバムが出せず収入が途絶えた時期、SEEDAは生活保護の申請に市役所を訪れたことがあります。
担当者がSEEDAのファンだったという偶然の出来事があり、「SEEDAさんのこと知ってます!」と言われて「恥ずかしかった」と本人が語っています。
結局受給には至らず「もう少し仕事を頑張ってみます」と踏みとどまったSEEDAは、その後ラップスタア誕生の審査員オファーが舞い込み、生活が持ち直していきました。
アルバイトとしてはHONDA工場での排水溝掃除やパチンコの組み立て作業を経験しており、2015年リリースの「BUSSIN」の冒頭リリック「I'm Motherf**kin' Seeda/排水溝の中 塗料削るヘラ」はこの実体験をそのまま歌にした一行です。
「今思えば楽しかったです」という言葉に、SEEDAの地に足ついた人間性が滲んでいます。
SEEDAとラップスタア誕生
SEEDAはABEMAの「ラップスタア誕生!」の審査員として初期から携わっています。
応募動画を全件視聴するという徹底した姿勢で知られており、2024年回の応募総数約5,785人の動画をすべて確認しています。
この経験を通じてD3adStockと出会い(Showy VICTORが優勝した翌日、BBY NABEの紹介で知り合った)、2025年のアルバム『親子星』の制作チームの核として機能することになりました。
SEEDAのコライトという新しいスタイル
「お金にしがみつかず、音楽が楽しいと思えることだけやる」という境地に至ったSEEDAが見つけたのが、コライト(共同作詞)という制作スタイルです。
「みたび不定職者 feat. Jinmenusagi & ID」の制作がきっかけで、一人では書けなかったリリックをチームで仕上げる経験が「久しぶりに音楽が楽しかった」というSEEDAの言葉につながりました。
「ひとりでつくるのとは雰囲気が別もの。盛り上がんない曲は出ない」というチームでの制作の熱量が、13年振りのアルバム『親子星』の若々しさと成熟が同居した仕上がりにつながっています。
SEEDAとYouTube「ニートTOKYO」
2017年にスタートしたYouTubeチャンネル**「ニートTOKYO」**は、SEEDAが主体的に関わる映像プロジェクトです。
新進のラッパーやプロデューサーにインタビューを行い、次世代の音楽を紹介し続けるこのチャンネルは、06年の「CONCRETE GREEN」ミックステープシリーズから続く「新しいラッパーを紹介する」というSEEDAのDNA的な使命感から来ています。
「次のクリックでヤバいのがいるかもしれない。それで本当にいたときの衝撃ってたまらない」という言葉が、SEEDAが今もシーンに向き合い続ける理由の核心です。
SEEDAの人気曲まとめ
SEEDAの人気曲を紹介します。
「花と雨」
2006年リリースのアルバム『花と雨』の表題曲で、日本語ラップ史に残るクラシック。亡き姉への思いを込めた楽曲として知られており、喪失と日常のリアルが美しく共存した一曲です。2020年には同曲を原案とした映画も制作されるなど、シーンを超えた影響力を持ち続けています。
「BUSSIN」
アルバムが出せない苦しい時期に、排水溝掃除のアルバイトをしながらクラウドファンディングで制作した楽曲。「I'm Motherf**kin' Seeda/排水溝の中 塗料削るヘラ」という書き出しが、苦しい時期でも自己表現を諦めなかったSEEDAの姿そのものです。
「Come Back」
2017年リリース。アルバム空白期の中でも「代表曲」と呼べるリリースとして評価された楽曲で、ヴェテランが放つ存在感とリリックの深みが際立っています。
「L.P.D.N. feat. VERBAL」
2025年アルバム『親子星』収録。VERBALとの長年のビーフに決着をつけた楽曲として大きな反響を呼んだ。NujabesのShing02「Luv(sic) pt2」のビートを下敷きにした楽曲でシーンを超えた話題に。
「親子星」
アルバム『親子星』のタイトル曲。息子が「あの星はお父さん、横にあるあの星は僕」と言った言葉から生まれた楽曲で、父と子のストーリーを丁寧に紡いだSEEDAのキャリアの新たな到達点です。
SEEDAのプロフィールまとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| アーティスト名 | SEEDA(シーダ) |
| 本名 | 吉田なおひと(よしだ なおひと) |
| 生年月日 | 1980年11月17日 |
| 年齢 | 45歳(2026年7月時点) |
| 出身地 | 東京都(ロンドン育ち) |
| 身長 | 非公開 |
| 嫁 | EMI MARIA(歌手) |
| 息子・子供 | 息子1人 |
| 所属クルー | SCARS |
| 代表アルバム | 花と雨、SCARS THE ALBUM、親子星 |
SEEDAの調査結果まとめ
- 本名は吉田なおひと。1980年11月17日生まれ、東京都出身。45歳(2026年7月時点)
- 3歳からニュージーランド、小1から中1までロンドンで育ち、帰国後に慶應高校を中退してラップの道へ
- 1999年にSHIDA名義でデビュー。SCARSに加入後、「花と雨」「SCARS THE ALBUM」でシーンのレジェンドに
- 2009年に引退宣言するも半年で復帰。その後は書けない時期が続き、生活保護申請や排水溝掃除のアルバイトも経験
- コライトという制作スタイルを取り入れてから音楽の楽しさが戻り、2025年に13年振りのアルバム『親子星』をリリース
- 妻はEMI MARIA(歌手)。息子との実体験が「親子星」の楽曲になった
- VERBALとの長年のビーフを「L.P.D.N.」で解決。「ビーフのまま終わるのは違う」という信念から
「お金のためには音楽をやりたくない」——排水溝を掃除しながらも、生活保護の窓口を訪れながらも、SEEDAはその信念を手放しませんでした。
13年のブランクの後に届いた「親子星」は、その信念の先にある景色でした。
ほかのラッパーの情報もまとめてありますので、ぜひチェックしてみてくださいね〜。
