日本のヒップホップ史上、最強のラッパーといえば誰か?
名古屋で1番影響力のあるラッパーといえば誰か?
多くの人たちが、「それは、TOKONA-Xだ」と答えます。
今回は、そんな「TOKONA-X(トコナエックス)」というラッパーについての研究結果を報告します。
TOKONA-Xの調査結果【伝説・交友関係・死因・娘・人気曲】
TOKONA-X(トコナエックス)は、HIPHOP業界では、その名を知らない人がいないほど、有名なラッパーです。
TOKONA-X(トコナエックス)は20代という若さでありながら、オーラ、発言、パフォーマンス、楽曲、そのどれをとってもラッパーとして超一流でした。
2004年にこの世を去りましたが、TOKONA-Xが亡くなった今でも、彼の楽曲は多くのHIPHOPヘッズたちに聴かれ続けています。
また、TOKONA-Xが亡くなってからは、DJ RYOW(岐阜県大垣市出身)が中心となって、TOKONA-Xをリミックスで様々なヒップホップアーティストたちと共演させています。
これまでに、TOKONA-Xが共演したラッパーは、以下のとおりです。
- AK-69
- EQUAL (M.O.S.A.D.)
- AKIRA (M.O.S.A.D.)
- MACCHO(OZROSAURUS)
- Mr .OZ(ミスターオージー)
- ANTY the 紅乃壱
- DABO
- 般若
- ANARCHY(アナーキー)
ちなみに、DJ RYOWがDJになったのは、TOKONA-Xと刃頭(ハズ)によるヒップホップ・ユニット「ILLMARIACHI(イルマリアッチ)」の楽曲「Younggunz」を聴いて、大きな影響を受けたのがきっかけです。
そういった経緯もあって、DJ RYOWは2016年4月1日にフリースタイルダンジョンの初代モンスターの漢 a.k.a. GAMI、R-指定(Creepy Nuts)、初代ラスボス般若を客演に迎えて「Younggunz」のリメイク音源として「ビートモクソモネェカラキキナ 2016 REMIX feat.般若, 漢 a.k.a. GAMI & R-指定」を発表しています。
DJ RYOWはTOKONA-Xについて、「トコナメさんと最初に出会った時は一緒に音楽やれるとは思っていなくて、自分にとってただの憧れ的な存在でした。その後で一緒に活動させてもらうようになってからは、トコナメさんはライブも私生活も含めてどこでも暴れる人だったので、そのまっすぐ生きている姿を背中で教えてくれていました。」と語っています。
ここからは、TOKONA-Xの生涯と伝説的なエピソードを振り返っていきたいと思います。
TOKONA-Xの伝説を振り返る
TOKONA-X(トコナエックス)は神奈川県横浜市南区六ツ川で生まれ育ち、実家は魚屋でした。
しかし、母親が警察に捕まったことをきっかけに、父親の実家がある愛知県常滑市に引っ越すことになります。
これが1991年の出来事で、TOKONA-Xが中学校に入学するタイミングの話です。
ちなみに、愛知県に引っ越してくる前から、すでに横浜市では悪ガキとして名を挙げており、当時、隣町に住んでいたMACCHO(OZROSAURUS) は「リュウと呼ばれていた有名な男がいた、それがTOKONA-Xだった」とラップしています。
この話は、TOKONA-Xがまだ小学生のころの話だから驚きです。
TOKONA-Xという名前の由来は、引っ越してきた「愛知県常滑市(とこなめし)」からもってきています。
ラッパー仲間からはトコナメ、トコナメさん、トコナ、トコナXと呼ばれることが多いです。
神奈川県横浜市から愛知県常滑市に引っ越した中学生のTOKONA-Xに待っていたのは、「横浜から来た」という理由で、仲間はずれにされて、昼食を一人で食べる日々でした。
しかし、その負けん気の強さと不良としての力にモノを言わせて、少しずつ仲間を増やしていきました。
ただ、家庭においては父親が再婚をしたことにより、父の再婚相手である母親と腹違いの弟とも生活をしなければいけなかったことや、父親が体を壊したことで、当時の暮らしは大変でした。
1994年に、中学校を卒業した当時15歳のTOKONA-Xは、名古屋市内にある私立高校に進学します。
高校はその後、中退しますが、この高校時代にTOKONA-Xは名古屋のレコード店でヒップホップに出会います。
それからはこのレコード店に通って、国内・海外のヒップホップの曲を片っ端から聴きまくっていたそうです。
それからすぐに、愛知県ラッパーで同い年の"E"qual(イコール)と出会い、2人はすぐに意気投合して同じステージに立つようになり、ラッパーとしての活動を始めていきます。