「強くはないけど、やるしかない」——この一言が、MARIAというラッパーのすべてを語っています。
神奈川県横浜市出身のラッパー・MARIA(マリア)。
SIMI LABのメンバーとして日本のヒップホップシーンに衝撃を与え、ソロラッパーとしても独自の道を歩み続けてきました。
米軍基地の街で育ち、中学3年生で父に捨てられ、ハーフとして受けた差別——その壮絶な生い立ちをすべてリリックに変えてきた人物です。
2023年4月には母となり、新たなフェーズへ。それでもマイクを手放すことはありませんでした。
今回はMARIAについて徹底的に調査した内容をお伝えします。
ラッパーMARIAの年齢・本名・身長について
「MARIA ラッパー 何歳」「MARIA 年齢」という検索が多く見られます。
MARIAの正確な生年月日は公開されていません。ただしインタビューで「16歳からクラブに通い始めた」「25歳から28歳まで落ち着いた時期があった」と語っており、2023年に出産していることなどから、2026年7月時点で30代前半〜中盤とみられます。
本名についても非公開です。「MARIA」という名前はスペイン語・イタリア語圏で一般的な女性名であり、後述するハーフというルーツとも関係している可能性がありますが、アーティスト名の由来について本人が公式に語った情報は確認できていません。
身長も非公開ですが、インタビューの写真やMVでのビジュアルからは、スタイリッシュな体型が印象に残ります。「MARIA ラッパー 痩せてた」という検索が見られるのは、出産前後での体型変化が気になっているファンが多いからとみられます。
MARIAはインタビューで「"Far Away"のPVを撮るにあたってかなり脱ぐなと思って筋トレを始めた」「平日に2キロやせて週末に2キロ太るルーティン」と笑いながら語っており、ビジュアルへのこだわりを持ちながらも飾らない率直さが魅力です。
ラッパーMARIAはハーフなのか?
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MARIAはハーフです。本人がインタビューで「ハーフで生まれて日本で生きていくのって大変で」と語っており、幼少期から差別的な言葉を受けてきた経験があります。
「小学生のときにクラスのヤツに『先生、コイツ外人の臭いするんですけど』とか言われて、そしたら先生もひどくて『そうですか。じゃあ窓開けてください』とか言ってんの。みんなの前では絶対泣かないと思ってたけど、そのあとトイレでめっちゃ泣いて」——このエピソードは、後に楽曲「Set Me Free」に昇華されています。
どこのハーフかについては詳細が公開されていません。父親の国籍については後述の生い立ちとも関係していますが、本人からの明言はありません。
ラッパーMARIAの生い立ち【米軍基地・父の失踪・壮絶な幼少期】
ラッパーMARIAは米軍基地の街・横須賀で育つ
MARIAが育ったのは神奈川県横須賀市の米軍基地近くです。「MARIA ラッパー 横浜」という検索が多く見られますが、出身は横浜市で横須賀で育ったという情報があります。
基地周辺には多国籍の文化が混在しており、「クラブに遊びに行ったのは横須賀ぐらい。基地で働いてる人たちがコロナで出てこれなくなったから、クラブが全部クローズしちゃった」と語るほど、横須賀のクラブシーンはMARIAの音楽人生に深く根ざしていました。
ラッパーMARIAは中学3年で父に捨てられた
MARIAの家庭環境は、決して安定したものではありませんでした。
中学3年生のとき、父親が家を出て行きました。母子家庭になり生活が一変。家賃が払えなくなり、他人の家を転々とする生活が続いたといいます。
「世の中の男は皆、女をゴミとしか思ってないでしょって思った時期があった」という言葉の重みは、この経験なしには語れません。
こうした家庭環境が、MARIAが音楽で「弱い立場の人間を肯定したい」というスタンスを持つようになった根底にあると語られています。
「MARIA ラッパー 若い頃」「昔」について
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MARIAは16歳からクラブに通い始め、その頃から音楽とパーティーカルチャーに浸かっていたといいます。SIMI LABへの加入は10代後半のことで、当時はまだ「ピチピチだった」と自ら語るほど若い状態でシーンに飛び込んでいます。
「SIMI LABに入ったときはもっとエンターテイメント的にやりたかった。Lady Gagaがヒットしてたタイミングだったし」という言葉からは、若い頃の野心的な面も伝わってきます。
ラッパーMARIAとSIMI LABについて
MARIAのキャリアは、神奈川・相模原発のヒップホップクルーSIMI LABへの加入から始まります。OMSB、YOUNG JUJU、QNなどと共にクルーを形成し、日本のヒップホップシーンに新風を吹き込みました。
「SIMI LABとのキャリアがあって、高校生ラップ選手権の審査員にもなれた」とMARIA自身が語るように、クルーとしての活動が彼女の知名度の土台を作りました。
しかし自分のスタンスを追求したいという思いから、2017年頃にはソロ活動の比重を高めていきます。
「ひとりだけで作るのとは違って、議論できる相手がいることで作品の質が高まった」という言葉が示すように、孤独な制作と協働の両方を経験することで、アーティストとしての幅が広がっていきました。
