「ニンジンを取りに行ったっきり、母親が帰ってこなかった」——その日の記憶が、唾奇というラッパーのリリックの根っこにある。

沖縄県那覇市寄宮出身のラッパー・唾奇(つばき)

両親の離婚後に祖母に育てられ、姉が万引きしたものを食べて過ごした幼少期を経て、小学6年生でキングギドラに出会いヒップホップに目覚めました。

17歳でリリックを書き始め、沖縄の国際通りのバーで偶然Sweet Williamと出会い、2017年の共作アルバム「Jasmine」で全国区に。

そして2025年12月16日、自身初のワンマンライブを日本武道館で開催し、大成功を収めました。

今回は唾奇について徹底的に調査した内容をお伝えします。

唾奇のプロフィール早見表

項目内容
アーティスト名唾奇(つばき)
本名新城安成(しんじょう やすなり)
生年月日1991年8月4日
年齢34歳(2026年7月時点)
出身地沖縄県那覇市寄宮
身長非公開
所属Pitch Odd Mansion
インスタ@tubaki_hito
X@tubaki_0804
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唾奇の読み方・本名について

唾奇の読み方は**「つばき」**です。

唾奇 本名」という検索が多く見られますが、本名は**新城安成(しんじょう やすなり)**です。

「唾奇」というアーティスト名は、自身の境遇や感情をそのまま音にするスタンスから来ていると言われており、独特の漢字の組み合わせが名前そのものに力を持っています。

唾奇の年齢・身長について

唾奇は1991年8月4日生まれで、2026年7月時点で34歳です。

誕生日は8月4日で、2025年に1stアルバム「Camellia」をリリースした日付(8月4日)が誕生日と同じ日であり、自身の誕生日にアルバムをリリースするというこだわりが感じられます。

ラッパー 唾 奇 身長」という検索が見られますが、身長については公開されていません。

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唾奇の出身と家庭環境【壮絶な幼少期と祖母の存在】

「唾奇 家庭環境」について

唾奇 家庭環境」「唾奇 母親」「唾奇 おばあちゃん」という検索が多く見られます。

唾奇は沖縄県那覇市寄宮で生まれましたが、両親が離婚し、母親は家にほとんどいない状態で育ちました。

象徴的なエピソードとして語り継がれているのが、**「ニンジンを取りに行ったっきり母親が帰ってこなかった」**という話です。

学校でカレーライスを作るために必要なニンジンを母親に頼んだところ、母親は祖母の家へ取りに行ったまま戻らなくなりました。

3歳年上の姉と2人、祖母に面倒を見てもらいながら育ちました。

食べるものにも困り、姉が近くの商店で万引きしたものを食べて過ごすこともあったといいます。

この壮絶な幼少期の体験が、唾奇のリリックの核心にある「重さ」の源泉になっています。

祖母への感謝と愛情は後の楽曲にも色濃く反映されており、「唾奇 おばあちゃん」という検索が一定数あるのは、唾奇が祖母の存在を大切にしていることがリリックやインタビューから伝わっているためです。

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唾奇のヒップホップとの出会い

小学6年生、キングギドラとの衝撃的な出会い

唾奇がヒップホップに目覚めたのは小学6年生のことです。

姉の彼氏から教えてもらったキングギドラの「トビスギ」という曲を聴いたことがきっかけとなり、日本語ラップの世界に引き込まれていきました。

その後はヒップホップやレゲエ・ダンスホールに親しみ、中学生時代には地元沖縄で流行っていたウェッサイも聴くようになります。

2年遅れの高校入学とネットラップの世界

唾奇は2年遅れで高校に入学しており、その高校でラップに詳しい友人と出会ったことでネットラップにハマっていきます。

ネットラップとはトラックメイカーがインターネット上に提供した曲に、ラッパーがラップを乗せてネット上にアップするスタイルで、唾奇はこの文化の中でスキルを磨いていきました。

**「基本的に外に出るのも嫌い」**というインドア気質の唾奇にとって、自室でラップを録音するネットラップのスタイルは相性が良かったといいます。

CHOUJIの一言が人生を変えた

17歳からリリックを書き始めた唾奇は、クラブイベントにも出演するようになりますが、最初はお客さんが全く入らない日も多々あったといいます。

「外に出るのも嫌いな自分にイベントでラップするのは無理だな」と思っていた唾奇に転機が訪れます。

ライブを観ていた沖縄を代表するラッパーCHOUJIから「お前めちゃかっこ良かった」と声をかけられたことで、本格的に取り組む決意をしました。

その後、自身で「HITOBASHIRA」というイベントを主催するようになり、沖縄のシーンでの存在感を徐々に高めていきます。

唾奇と「HITO」「HITOBASHIRA」の意味

唾奇 HITO 意味」という検索が見られます。

唾奇が那覇で主催するパーティー「HITOBASHIRA(ヒトバシラ)」は、日本語で「人柱」を意味します。

犠牲となって礎を築く存在としての「人柱」というコンセプトは、唾奇のリリックが持つ「自分の痛みや経験をすべてさらけ出す」というスタンスと重なります。

このイベントが現在も続いており、沖縄のヒップホップシーンの重要な場として機能し続けています。

唾奇とSweet Williamの出会い【奇跡の邂逅】

唾奇のキャリアにおいて最も重要な出会いが、プロデューサー・Sweet Williamとの出会いです。

唾奇 出身 高校」と並んでよく検索されるほど、唾奇の音楽を語る上でSweet Williamは不可欠な存在です。

2人が出会ったのは**沖縄の国際通りにあるバー「パラバル」**でした。

当時唾奇がそのバーで働いており、偶然やって来たSweet Williamと知り合ったといいます。

バーでの偶然の出会いから始まった2人の関係は、2014年にSweet WilliamのフリーEP「Peat Grape」に共作曲「提灯」が収録されることから始まりました。

そして2017年にリリースした共作アルバム「Jasmine」が話題を呼び、唾奇は一躍全国区の知名度を得ることになります。

Sweet Williamのおしゃれで上品なビートの上に、唾奇の重たいリリックが乗る——この組み合わせが生み出す独特の音楽は、「こんなヒップホップがあったのか」と多くのリスナーを驚かせました。

唾奇の語りという表現スタイル

唾奇 語り 歌詞」という検索が見られます。

唾奇のラップの最大の特徴は、「語り」と呼ばれるスタイルにあります。

歌うでもなく、叫ぶでもなく、話し声に近い低いトーンでリリックを紡いでいくスタイルは、唾奇が幼少期から積み上げてきた経験の重みをそのまま乗せているかのようです。

インタビューで唾奇自身が「やることやって愛の話/やりたくないことやって金の話」というラインについて「口より行動っていうか、自分はフユーナー(沖縄の方言でなまけもの)気質なんで、リリックを通して自分に言ってるようなところもある」と語っており、自分自身への問いかけとしての「語り」が唾奇のラップの核心にあることがわかります。

唾奇と活動休止について

唾奇 活動休止 理由」という検索が多く見られます。

唾奇は過去に表立った活動が少ない時期があり、Red BullのRASENインタビューでも「ぜんぜん活動してないヤツって思われてるでしょうね、世間からは。やってはいるんですけど、それを表に出さないとやってないのと同然ですし」と語っています。

活動が見えにくくなった時期の理由としては、お酒を多く飲んでいた時期があったこと、生活リズムが乱れていたことなどが複合的に影響していたといいます。

その後、「朝に起きれるようになって、午前中からいままでやらなかったことをひとつずつやるようになった」ことをきっかけに音楽制作を再開し、スタジオを作り、自宅でもレコーディングできる環境を整えたといいます。

完全な活動休止という公式発表はなく、あくまで「表に出す活動が少なかった時期」という方が正確です。

唾奇と沖縄への愛

唾奇にとって沖縄とは何かを聞かれた際、「ベッドみたいな場所」と表現しています。

「東京とかに滞在してホテルとか泊まっても、芯まで休まった感じがしないんですよね。そういう意味で沖縄はすごく安らぎを与えてくれる場所だと思います」という言葉が、唾奇と沖縄の関係性を端的に示しています。

「逆にいうと東京に来るとスイッチがオンになる」とも語っており、沖縄が「帰る場所」として機能していることがわかります。

「出れないっすね、沖縄から。無理っす、無理っす」という言葉には、地元への深い愛着が滲んでいます。

唾奇とBASIの関係

唾奇 BASI」という検索が見られます。

唾奇とBASI(韻シスト)の共作曲「愛のままに」は、唾奇の楽曲の中でも特別な一曲として知られています。

全く異なるバックグラウンドを持つ2人が生み出した楽曲は、それぞれの音楽的個性が高いレベルで融合した作品として多くのリスナーに評価されました。

唾奇の結婚・プライベートについて

唾奇 結婚」「唾奇 子供」という検索が見られます。

唾奇の婚姻状況や子供の有無については、現時点で公式に発表された情報はありません。

プライベートな情報については多くを語らないスタンスをとっており、楽曲のリリックにパーソナルな経験を込めながらも、個人の情報はプライベートとして大切にしているアーティストです。

唾奇の1stアルバム「Camellia」と武道館

唾奇 武道館」という検索が急増しています。

2025年8月4日(誕生日当日)に、唾奇は初のソロ1stアルバム「Camellia」をリリース。

「Jasmine」(ジャスミン)から始まったSweet Williamとの花の名前シリーズが、「Camellia(カメリア=椿)」というタイトルで完結した形になっており、日本語で「椿(つばき)」を意味するタイトルは唾奇自身の名前と重なります。

そして2025年12月16日、自身初の単独ワンマンライブを日本武道館にて開催し、大成功を収めました。

デビューから活動の長さを考えても、武道館でのワンマンライブは唾奇のキャリアの集大成ともいえる出来事であり、「ぜんぜん活動してないヤツって思われてる」と自虐的に語っていたあのラッパーが、武道館を満員にした——その事実が、唾奇というアーティストの凄みを物語っています。

唾奇の人気曲まとめ

唾奇の人気曲を紹介します。

「Jasmine (feat. 唾奇)」(Sweet William × 唾奇)

2017年の共作アルバムのタイトル曲で、唾奇の名前を全国区にした代表作。Sweet Williamの上品なビートに乗せた唾奇の「語り」が多くのリスナーを魅了し、「こんなヒップホップがあったのか」と日本語ラップの新たな扉を開いた一曲です。

「道-TAO-」

2015年にYouTubeにMVをアップし、沖縄の新世代ラッパーとしての存在感を知らしめた楽曲。2018年のソロアルバムにも同タイトルが使われており、唾奇のキャリアを語るうえで外せない一曲です。

「一陽来復 (feat. 唾奇, CHOUJI)」(CHICO CARLITO)

2016年にCHICO CARLITOの楽曲に客演した楽曲で、全国から大きな注目を集めるきっかけとなった転機の一曲。CHOUJIとの3者共演も話題を呼びました。

「愛のままに (feat. BASI)」

韻シストのBASIとの共作曲で、ストリーミングでも安定した支持を集めるコラボ曲。全く異なるルーツを持つ2人の融合が生んだ、唾奇の楽曲の中でも特別な位置を占める一曲です。

「NINOKUNI (feat. 唾奇)」(OZworld)

OZworldの楽曲に客演した楽曲。沖縄つながりの2人の共演は、それぞれのスタイルの違いを際立たせながらも高い評価を受けました。

「EDEN (feat. にしな, 唾奇)」(GeG)

シンガーソングライター・にしなとの3者コラボ曲。ヒップホップとJ-POPの境界線を軽やかに越えた楽曲として、新たなリスナー層にも届きました。

「Kikuzato」

2015年にYouTubeにMVをアップした「道-TAO-」と同時期に公開された楽曲で、「道-TAO-」と並んで唾奇の初期の代表作として知られています。

唾奇のプロフィールまとめ

項目内容
アーティスト名唾奇(つばき)
本名新城安成(しんじょう やすなり)
生年月日1991年8月4日
年齢34歳(2026年7月時点)
出身地沖縄県那覇市寄宮
身長非公開
所属Pitch Odd Mansion
家庭環境両親離婚・祖母に育てられる
結婚・子供非公開
武道館2025年12月16日に単独ワンマン開催・成功
代表曲Jasmine、道-TAO-、一陽来復、愛のままに
インスタ@tubaki_hito

唾奇の調査結果まとめ

  • 本名は新城安成(しんじょう やすなり)。1991年8月4日生まれ、沖縄県那覇市寄宮出身。34歳(2026年7月時点)
  • 両親の離婚後、母親が家を出たまま戻らなくなり、姉と2人で祖母に育てられたという壮絶な家庭環境を持つ
  • 小学6年生でキングギドラ「トビスギ」に衝撃を受けヒップホップと出会う。17歳でリリックを書き始め19歳で初レコーディング
  • 沖縄の国際通りのバーで偶然Sweet Williamと出会い、2017年の「Jasmine」で全国区に
  • CHOUJIの「めちゃかっこ良かった」という一言が本格始動のきっかけに
  • 「ベッドみたいな場所」と表現する沖縄を拠点に活動を続けながら、「HITOBASHIRA」を主催
  • 2025年8月4日(誕生日)に初のソロ1stアルバム「Camellia」をリリース。同年12月16日に日本武道館でのワンマンライブを成功させた
  • 結婚・子供・身長は非公開

「ニンジンを取りに行ったっきり、帰ってこなかった」母の話を、唾奇は今もリリックに乗せて歌い続けています。

祖母に育てられ、沖縄の路上から這い上がり、武道館に立った——その軌跡のすべてが「語り」として残っているのが、唾奇というラッパーの凄みです。

ほかのラッパーの情報は下記記事にまとめてありますので、ぜひチェックしてみてくださいね〜。

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