「マイク1本でどこでもラップができる手軽さと、女子にモテるから」——ラッパーになった理由をこれだけ正直に語れる人間が、日本語ラップのレジェンドになった。

千葉県出身のラッパー・DABO(ダボ)

本名は芦田大介(あしだ だいすけ)、1975年1月6日生まれ。

偏差値70の進学校・本郷高校に通いながら渋谷の宇田川町で頭角を現し、Def Jam Japanの第1号アーティストとしてメジャーデビューを果たした「プラチナム・タン」の持ち主です。

NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのMCとしても日本語ラップ史にその名を刻み、現在はイラストレーターや文筆家としても活動の幅を広げる根っからの表現者。

今回はDABOについて徹底的に調査した内容をお伝えします。

DABOのプロフィール早見表

項目内容
アーティスト名DABO(ダボ)
本名芦田大介(あしだ だいすけ)
生年月日1975年1月6日
年齢51歳(2026年7月時点)
出身地千葉県
身長非公開
学歴私立本郷中学校・高等学校(偏差値70の進学校)
所属グループNITRO MICROPHONE UNDERGROUND
自主レーベルBABY MARIO PRODUCTION
非公開
インスタ@fudatzkee
X@fudatzkee

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DABOの本名・読み方について

DABOの読み方は**「ダボ」**です。

**本名は芦田大介(あしだ だいすけ)**で、アーティスト名「DABO」は本名の「DA(だい)BO(ぼうず)」から取られているともいわれていますが、公式な由来については諸説あります。

ヒップホップスラングでは「DABO」は「だぼだぼ(ゆったりした)」を意味するため、ヒップホップファッションの代名詞ともいえる言葉がそのままアーティスト名になっているという解釈も広く知られています。

DABOの年齢・身長について

DABOは1975年1月6日生まれで、2026年7月時点で51歳です。

身長は非公開ですが、各種メディア出演やライブ映像での存在感は際立っており、ファッションセンスとともに常に注目を集めてきたアーティストです。

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DABOの生い立ちと学歴【進学校からB-BOYの聖地へ】

サザンオールスターズから海外ラップへ

DABOは千葉県で生まれ育ちました。

小学生の頃から音楽に興味を持ち、当時流行っていたサザンオールスターズのファンだった姉の影響を受け、DABOもサザンオールスターズにハマっていたといいます。

転機が訪れたのは高校時代。海外のラップにのめり込んだDABOは「マイク1本でどこでもラップができる手軽さと、女子にモテるから」という率直な理由でラッパーになる決意をします。

この正直さがそのまま、後のDABOのキャラクターとリリックの魅力につながっています。

偏差値70の進学校・本郷で磨いた知性

DABOは中高一貫の私立本郷中学校・高等学校に通っていました。

偏差値70という超進学校で学びながら、一方では渋谷の宇田川町というB-BOYの聖地に足を運ぶという二重生活を送っていたDABO。

この「知性とストリートの同居」が、後のDABOのリリックの密度の高さと、イラストレーター・文筆家としての才能の背景にあるといえます。

渋谷・宇田川町でシーンの注目を集める

高校時代から17歳でラップを始めたDABOは、90年代の東京におけるB-BOYの聖地・渋谷の宇田川町でデビュー前から大きな注目を浴びる存在になっていきました。

1996年に開催された伝説的なHIPHOPイベント「さんぴんCAMP」でMUROのステージのバックで手を振っていたというDABOは、当時TwiGyを「マイアイドル」と呼び、ライムスターをリスペクトしていました。

90年代US HIPHOPの黄金期の影響をふんだんに受けながら、日本語ラップシーンの成熟期を肌で感じていたこの時代が、後のDABOの音楽的な土台を形成しています。

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DABOとCHANNEL5、そしてNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDへ

1995年、CHANNEL5の結成

1995年頃、DABOはDJ HAZIME・SUIKEN・KEI-BOMBらと「CHANNEL5」というグループを結成します。

この頃からシーン内での評価を積み上げていったDABOは、1997年にはSHAKKAZOMBIEの楽曲「共に行こう -version pure-」にGORE-TEX・SUIKEN・MACKA-CHINと共に客演。

インディーズシーンでの実績を重ね、1999年には初のソロ名義12inchシングル**「MR.FUDATZKEE」**をReality Recordsからリリースします。

「ふだつき」の意味について

**「Dabo ふだつき」**への関心が高い背景には、ソロデビュー作「MR.FUDATZKEE(ミスター・ふだつき)」への興味があります。

「ふだつき(札付き)」とは「悪い評判が定着している人物・不良」を意味する日本語で、自らを「ミスター・ふだつき」と名乗るという挑発的なスタンスが、デビュー当初からのDABOのキャラクターを示していました。

2000年、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの衝撃

2000年10月7日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND(以下ニトロ)のメンバーとしてアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』をリリース。

DABO・GORE-TEX・SUIKEN・MACKA-CHIN・DELI・YOU THE ROCKなど総勢9名のMCが揃ったこのグループは、00年代の東京ユースカルチャーを代表するHIPHOPコレクティブとして大きなムーブメントを巻き起こしました。

「アンダーグラウンドな枠にとどまらず」と評されたニトロの存在は、日本語ラップをメインストリームへと押し上げる力の一端を担いました。

DABOとDef Jam Japan【第1号アーティストとしてのメジャーデビュー】

「拍手喝采」でDef Jam Japanの歴史を刻む

2001年、DABOはRUN-DMCを輩出したアメリカの老舗レーベルDef JamのJapan部門「Def Jam Japan」の第1号ソロアーティストとして「拍手喝采」でメジャーデビューを果たします。

「Def Jamのえんじ色のレコードラベルに『DABO/拍手喝采』の文字を見たときは日本人のラッパーがDef Jamからレコードを出している…!と感動した」という当時のリスナーの言葉が、この出来事がシーンにとっていかに衝撃的だったかを物語っています。

日本でもHIPHOPのラッパーとして成功できる、アメリカからも認められることができる——DABOの存在はその好例として、当時のB-BOYたちの羨望を一身に集めました。

「レクサスグッチ」とワイルド・スピード

2001年にリリースした1stアルバム「PLATINUM TONGUE」収録曲「レクサスグッチ」は、映画「ワイルド・スピード」日本公開版のエンディングテーマに採用されました。

「レクサスグッチ」というタイトルが示すように、ラグジュアリーブランドと高級車を組み合わせたフレクスとしての楽曲であり、当時のヒップホップシーンのエッセンスが凝縮された一曲です。

その後、全国20都市のライブツアーを成功させ、CHEMISTRYの川畑要と「KAWABATA and DABO」名義でアナログ盤「BROTHERHOOD」を発表。CHEMISTRYの1stアルバム『The Way We Are』にも収録されるなど、ヒップホップの枠を超えた活動を展開していきます。

DABOのファッションと「ダボ」スタイル

**「ダボ ラッパー ファッション」**への注目が示すように、DABOのファッションセンスは音楽と並んで常に語られてきた要素です。

「ダボダボ(ゆったりとした)」なシルエットがヒップホップファッションの代名詞であった時代から、DABOは一貫してハイセンスなスタイルを維持してきました。

ラッパーとしての活動に加え、自らがイラストレーターとして複数のCDカバーのジャケットを手がけるなど、ビジュアル面での表現にもこだわりを持つアーティストです。

DABOの嫁・プライベートについて

**「DABO 嫁」「DABO 嫁 インスタ」**への関心が見られますが、DABOのパートナーに関する情報は公開されていません。

プライベートについては多くを語らないスタンスを貫いており、音楽・イラスト・文章という創作物を通じて自己を表現するアーティストとして、私生活との線引きを大切にしているとみられます。

DABOの多才な表現活動

ラッパーとしての活動にとどまらないDABOの才能は、様々な方向に展開されてきました。

オフィシャルブログは文章力の高さが話題となり高いPV数を保持しており、文筆家としての才能をシーン内外に示しています。

また自伝的書籍**「札と月」**ではイラスト・短編小説・リリック解説・夢を漫画化した「イル夢」など多彩なコンテンツを1冊に収めており、「カオスな内容」として話題になりました。

さらに自主レーベル**「BABY MARIO PRODUCTION」**を主宰し、コンピレーションアルバムの制作・リリースも手がけるなど、プロデューサーとしての側面も持ちます。

**「Hip Hopという出自を基に日々活動の幅を広げる根っからの表現者」**という評価が、DABOというアーティストの本質を的確に示しています。

DABOの現在の活動状況

**「DABO 現在」**については、2020年以降もTuneCoreを通じた楽曲配信を続けており、イラストレーターや文筆家としての活動も継続しています。

NITROについては現在活動停止中となっていますが、2026年に公開されたNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのオーラルヒストリーが各メディアで取り上げられるなど、グループとしての存在感は時代を超えて語り継がれています。

最新情報は公式Instagram(@fudatzkee)での確認が確実です。

DABOの人気曲まとめ

DABOの人気曲を紹介します。

「拍手喝采」

2001年リリースのメジャーデビューシングル。Def Jam Japanの第1号ソロアーティストとしてリリースされたこの楽曲は、「日本人ラッパーがDef Jamからレコードを出している」とシーンに衝撃を与えた歴史的な一曲です。

「レクサスグッチ」

1stアルバム「PLATINUM TONGUE」収録曲で、映画「ワイルド・スピード」日本公開版エンディングテーマに採用された代表曲。ラグジュアリーなフレクスとヒップホップの美学が凝縮されており、DABOの名を全国に広めました。

「デッパツ進行」

DABOの多数の人気曲の中でも特にフロアヒットとして知られる楽曲。「デッパツ(出発)」という日本語をHIPHOPのビートに乗せた、DABOらしい言語センスが光る一曲です。

「MR.FUDATZKEE」

1999年のインディーズデビュー作。「ミスター・ふだつき」という挑発的なタイトルと、シーン内での評価を積み上げてきたDABOのスキルが最初に記録された記念碑的な楽曲です。

「I Rep feat. DABO, ANARCHY, KREVA」(DJ HAZIME)

DJ HAZIMEの楽曲にANARCHY・KREVAとともに参加した、日本のヒップホップシーンで大きな話題を呼んだコラボ楽曲。三者三様のスタイルが一曲に収まった、シーンを象徴する一作です。

DABOのプロフィールまとめ

項目内容
アーティスト名DABO(ダボ)
本名芦田大介(あしだ だいすけ)
生年月日1975年1月6日
年齢51歳(2026年7月時点)
出身地千葉県
身長非公開
学歴私立本郷中学・高校(偏差値70)
所属グループNITRO MICROPHONE UNDERGROUND
メジャーデビュー2001年(Def Jam Japan第1号)
自主レーベルBABY MARIO PRODUCTION
非公開
代表曲拍手喝采、レクサスグッチ、デッパツ進行
インスタ@fudatzkee

DABOの調査結果まとめ

  • 本名は芦田大介(あしだ だいすけ)。1975年1月6日生まれ、千葉県出身。51歳(2026年7月時点)
  • 偏差値70の進学校・本郷高校に通いながら渋谷の宇田川町でシーンに浸り、17歳でラップを始める
  • 1995年にCHANNEL5を結成。1999年に「MR.FUDATZKEE」でインディーズデビュー
  • 2000年にNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとして「00年代東京のユースカルチャーを代表するアーティスト」へと成長
  • 2001年にDef Jam Japanの第1号ソロアーティストとして「拍手喝采」でメジャーデビュー。「レクサスグッチ」がワイスピのエンディングテーマに採用
  • ラッパーにとどまらずイラストレーター・文筆家・レーベル主宰者として多彩な才能を発揮する表現者
  • 嫁・身長は非公開。自主レーベルBABY MARIO PRODUCTIONから現在も活動継続中

「マイク1本でどこでもラップができる手軽さと、女子にモテるから」——この冗談のような理由でラップを始めた男が、Def Jam Japanの第1号アーティストになり、ワイスピのエンディングテーマを飾り、NITROのMCとして時代を作った。

DABOというラッパーの軌跡は、「プラチナム・タン」という言葉の重みとともに、これからも語り継がれていきます。

ほかのラッパーの情報もまとめてありますので、ぜひチェックしてみてくださいね〜。

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