MICROPHONE PAGERの結成
その後、TWIGYは1992年に活動の拠点を名古屋から東京に移し、MURO、P.H.FRON、MASAO、DJ GOと伝説のヒップホップグループ「MICROPHONE PAGER(マイクロフォン・ペイジャー)」を結成します。
当時のMICROPHONE PAGERは、DABO(ダボ)やRINO LATINA II(リノ・ラティーナ・ザ・セカンド)などの後に有名になるラッパーたちに大きな影響を与えました。
MICROPHONE PAGERはRHYMESTER(ライムスター)やキングギドラなどと同じ世代のヒップホップグループではあるが、実際にはもう少し前から活動をしていました。
MICROPHONE PAGERは「死者に手を合わせては 生き抜こう地球丸いうちは」という衝撃的なラインが入っている名曲「病む街」などを世に残しました。
雷結成から証言参加までのTWIGY
その後、MICROPHONE PAGERを休止したTWIGYは1994年に、YOU THE ROCK☆、RINO LATINA II、G.K.MARYANとともにカルト的な人気を誇る「雷(カミナリ)」を結成して活動するようになります。
雷では「2U」「カミナリ」「夜ジェット」などの名曲を残しており、今でも多くのヘッズたちが聴いています。
さらに、TWIGYは1995年にはLAMP EYEの伝説の楽曲「証言」に証言5番として参加しています。
「証言」とは、証言1のRINO、証言2のYOU THE ROCK★、証言3のG.K.MARYAN、証言4のZEEBRA、証言5のTWIGY、証言6のGAMA 、証言7のDEV LARGE、証言8のYOTTY、証言9のUZI、DJ YASからなる伝説的な楽曲です。
ここまでの流れからもわかるように、TWIGYはBEATKICKS、MICROPHONE PAGER、雷、ソロ活動と、それぞれの時代に合わせて自分を進化させ続けているオリジナルなラッパーだということですね。
TWIGYはインタビューで『俺の生活の延長線上にヒップホップがあった。日本だとどうしても「はい、ココカラステージに上がってくださいよ」という線引きがあって違和感があることが多い。俺はそれがイヤでヒップホップを始めた。俺のこの感じ方に近かったから雷をやろうってなった。当時は、日本語でラップなんてできるわけない、とよく言われ、その度に実際にやって見せて納得させてきた。そういう意味ではヒップホップの熱や血は、今よりも昔の方がすごかったと思う。日本語でもいろいろな国の人に伝わるものだと思っているから、これからもヒップホップはユナイトだから何でもやってやれ、と思っている」と自身のヒップホップ論を語っています。


