「DJ RYOWのことを詳しく知りたい」
「日本の優秀なトラックメイカーの情報を探している」

このような方に向けて、記事を書いています。

AK-69・TOKONA-X・”E”qualとともに名古屋HIPHOPを全国に知らしめたDJである「DJ RYOW(ディージェイ・リョウ)」についての研究結果を報告します。

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DJ RYOWの調査結果まとめ【人気曲・経歴・交友関係・野望】

DJ RYOW

DJ RYOW(ディージェイ・リョウ)は岐阜県大垣市出身のDJです。

DJとしての活動の拠点は名古屋で、今では日本を代表するトラックメイカーという地位を確立しました。

https://www.instagram.com/p/B1qeY2fgRqB/?igshid=u7y2uepkhfls

DJ RYOWはその実力とトラックの魅力を武器に、これまでに様々なHIPHOPアーティストからオファーを受けて、トラックを提供しています。

DJ RYOWは、AK-69、"E"qual、TOKONA-X、AKIRA、般若、漢、呂布カルマ、ZEEBRA、SOCKS、ANARCHY、KOHH、SALU、R-指定、唾奇、T-PABLOWなどの名だたるラッパーたちと共同で楽曲制作をしてきました。

また、AK-69のアリーナツアー全公演のサポートを担当するなど、ライブDJとしての信頼もめちゃめちゃ厚いです。

DJ RYOWが多くのアーティストから愛される理由をまとめると次のようになります。

  • ただのDJではなくアーティストとしての地位を確立した日本でも稀なDJである
  • プロディース力、バイタリティ、リーダーシップが高い
  • 熱い想いを内に秘めているのが楽曲の中に感じられる
  • ストイックなど変態である
  • 音楽への愛情と誠実さを感じる

DJとしては1998年から活動をしており、名古屋や東京などの国内地域はもちろん、アジアや北米などの海外でのDJプレイの経験も豊富です。

海外での活動の中で、DJ MISTER CEE、DJ ENVY、DJ GREEN LANTERNといった本場アメリカのトップDJとも共作ミックスを発表しており、国境を越えてDJ RYOWの実力が評価されているのがわかります。

DJ RYOWは自身でヒップホップレーベル「DREAM TEAM MUSIC」を主宰し、新人アーティストの育成やバックアップにも力を入れています。

さらに、アパレルブランド「DREAM TEAM」の企画やアパレルショップ「DREAM TEAM NAGOYA」を経営するなど、ヒップホップ文化を広げるための活動も行なっています。

DJ RYOWのカッコイイ男の条件は「目標があってちゃんと目指して動いている人」で、その条件の通り、DJ RYOWは常に目標を持ち続けて、挑戦し続けている男です。

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DJ RYOWがDJになったきっかけ

DJ RYOW

DJ RYOWが本格的にヒップホップにのめり込んだのは、17歳の時にILLMARIACHI(イルマリアッチ)のライブを生で観て大きな衝撃を受けたのがきっかけです。

これがきっかけで、DJ RYOWは名古屋のクラブに通うようになりました。

ちなみに、ILLMARIACHIとは名古屋のマーリー・マールと呼ばれていたトラックメイカーの刃頭(ハズ)と、名古屋のビッグ若旦那と呼ばれていたラッパーのTOKONA-Xによる伝説のヒップホップユニットです。

当時はTOKONA-Xにも衝撃を受けたが、特にトラックメイカーの刃頭に影響を受けました。

もともと自分にはラップはできないと思っていたので、DJをやりたいなと思った時にILLMARIACHIのアルバムを聞いて、刃頭の凄さに憧れて行きました。

DJ RYOWはもともとバンドでドラムをやっていたこともあり、DJのプレイだけではなく、自分で曲も作ってみたいと思うようになります。

ILLMARIACHIの曲の中でも特に「Young Gunz feat Shigechiyo & Kent」にやられてアナログ盤を買いに行き、DJ RYOWはDJになろうと思ったと語っています。

DJ RYOWもAK-69も「刃頭さんのビートは変態的にヤバイ」とラジオで語っています。

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DJ RYOWのDJとしての活動

高校を卒業してからすぐに家出して、そのあとで"E"qualと出会い、それから必然的にTOKONA-Xとも交流するようになりました。

https://www.instagram.com/p/BnBTnNplb_Y/?igshid=1d7nyzadewrcs

その後、「BALLERSをやるぞ!」という話になった時にDJ RYOWがたまたまそこにいて、DJ RYOWもBALLERSを一緒にやることになりました。

DJ RYOWは17歳の時に衝撃を受けた人たちと自分が一緒にやるなんて訳がわからなくて最初は「本当に俺でいいのか?」と参加を渋っていたくらいでした。

ちなみに、BALLERS(ボーラーズ)とは、M.O.S.A.D.(モサド)、ENDLESS FILE(エンドレス・ファイル)、SYGNAL(シグナル)などによって1999年に結成されたヒップホップクルーです。

M.O.S.A.Dの”E”qualがBALLERSのリーダーを務めています。

BALLERSはレギュラーイベントの開催をしながら、名古屋HIPHOPシーンの中心的存在として活動をしていました。

DJRYOWがDJを始めたあとで、特に気合いが入って「もっとDJとして突き進もう」と思ったのは、2004年にTOKONA-XとKEISHI(BALLERSのホストMC)が亡くなったのがきっかけでした。

DJ RYOWは当時の自分について次のように語っています。

それまでは「俺なんてBALLERSにいない方がいいんじゃないか」と思うくらいのカスだったけど、「これはもう俺が行かなきゃダメだろ」という気持ちに変わった。

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