「SEAMOの詳しい情報が知りたい」
「SEAMOと名古屋出身ラッパーとの関係が知りたい」
このような方に向けて、記事を書いています。
SEAMO(シーモ)は、愛知県出身ラッパーの中では初の快挙となる「アルバムがオリコンチャート1位にランクイン」「シングルが7作品連続でオリコンデイリーシングルチャートのTOP10にランクイン」という実績があります。
名古屋のラッパーから全国区のラッパーにまで知名度を上げたラップ名人「SEAMO」についての研究結果を報告します。
SEAMO(シーモ)の情報まとめ【楽曲・交友関係・性格】
「SEAMO(シーモ)」は地元名古屋でHIPHOPムーブメントを起こし、全国までその名を届けた愛知県一宮市出身のラッパーです。
シーもネーター時代の活動
SEAMOは1995年からラッパーとして活動を始め、当時は「シーモネーター」というアーティスト名でした。
その後、地元の若いヒップホップアーティストたちと「男塾」というチームを結成して活動していきます。
ちなみに、シーモネーターだった頃も、まわりのラッパーから「シーモ」と呼ばれていました。
2002年に米米クラブの「浪漫飛行」を大胆にサンプリングした「浪漫ストリーム」を引っさげて、ソニー・レコーズからシーモネーターとしてメジャーデビューを果たします。
https://youtu.be/_AwMbaGlpMs
シーモネーター時代は自身の作品だけでなく、nobodyknows+、HOME MADE家族、BENNIE K、ケミストリー、加藤ミリヤ、ケツメイシのRYOなどのアーティストともコラボレーションしていました。
その後、シーモネーターとしてのデビューから約1年が過ぎたころ、所属していたソニー・レコーズから突然の契約解除を通告されました。
当時、SEAMOは引退も考えましたが、再デビューを決意して、地道な売り込みを1年間続けました。
その結果、2005年に新たなレコード会社と契約をすることができて、このときにシーモネーターから「SEAMO」に改名しています。
SEAMOとしての音楽活動と実績
2006年にリリースした楽曲シングル「マタアイマショウ」と「ルパン・ザ・ファイヤー」が大ヒットして知名度が全国区になりました。
さらに、セカンドアルバム「Live Goes On」が2006年10月2日にオリコン週間アルバムチャートで初登場1位を獲得しました。
これは日本のヒップホップアーティストとしては、RIP SLYMEに次いで2番目の快挙です。
人気も知名度も一気に広がった2006年には、NHK紅白歌合戦への初出場も果たしました。
2006年4月の「マタアイマショウ」から、以下のシングルが7作品連続でオリコンデイリーシングルチャートのトップ10にランクインしました。
- マタアイマショウ
- ルパン・ザ・ファイヤー
- Cry Baby
- Fly Away
- 軌跡
- MOTHER
- Continue
この中でも、2008年5月にリリースした「MOTHER」は、SEAMO史上で最高記録となるウィークリーチャート初登場5位を記録しました。