GAZZILAはHIDADDYに大きな影響を受けている
ラップを初めて半年経たないくらいに大阪のラッパー「HIDADDY(ヒダディー)」と出会い、フリースタイル文化を教えてもらうようになります。
当時のGAZZILAは、HIDADDYのところに毎日通って、ストーブを囲みながらフリースタイルをしていました。
GAZZILAはHIDADDYに対して「自身のルーツはヒダやんだったりする。あの時に出会っていなかったら、まだラップをやっていたかわからないし、濃いところを見れたかもわからない。ラップの基礎の部分を学べたし、ヒダやんの生き方をみながら学んだ部分が大きい」と語っています。
22 & GAZZILA名義の活動について
HIDADDYと出会ってから約1年後に、GAZZILAは「音麻心」というHIPHOPとレゲエの大所帯のクルーを組んで活動していました。クルー内ではGAZZILAは一番歳下の歌い手でした。
その後、HIDADDYのところでよくフリースタイルをやっていた奈良出身のラッパー「22(ニッツ)」と共に活動するようになり、音麻心が活動休止になったこともあり、22 & GAZZILAの活動にスイッチしていきました。
GAZZILAの音楽活動に対する思想
GAZZILAの音楽制作に対する思想は、「音を聴いたときに『こういう歌い方したらハマるな』とか、いろいろ頭の中に出てくる。それを自分の声や音程と照らし合わせて『ライヴが出来るかどうか』で決めていく。ライヴで歌ったときにグダグダになるならやめておく」です。
GAZZILAは「CDを聴いてライヴを観に来てくれたお客さんにそのまま届けたいし、ライヴを観てCD買おうと思ったお客さんにもそのまま伝えたい」と語っています。