「名古屋出身で影響力のあるラッパーを知りたい」
「名古屋出身のレジェンドラッパーの情報を探している」
この記事はそん方に向けて書いています。
伝説的ヒップホップグループ「MICROPHONE PAGER(マイクロフォンペイジャー)」「雷(カミナリ)」のメンバーであり、伝説の名曲「証言」への参加など、日本のヒップホップシーンに大きな影響を与えた名古屋出身のラッパーが「TWIGY(ツイギー)」です。
今回は、名古屋から誕生した日本語ラップのレジェンド「TWIGY(ツイギー)」についての研究結果をまとめたので報告します。
TWIGY(ツイギー)の情報まとめ【名古屋のレジェンドラッパー】
愛知県名古屋市出身のラッパー「TWIGY(ツイギー)」は名古屋ヒップホップシーンを語るうえでは欠かせない存在です。
名古屋から全国に知名度を広げて名古屋と東京を繋いだラッパーにはTOKONA-Xがいますが、TWIGYはそれよりも数年前から東京の第一線で活躍しているラッパーです。
TWIGYは孤高の天才ラッパーとして名古屋から東京に飛び出した日本語ラップのレジェンドで、先駆者であり、開拓者です。
TWIGYはラッパーとして超異質の才能を持っていて、ZEEBRAが憧れ、スチャダラパーが嫉妬したほどの魅力を持っているHIPHOPアーティストです。
生い立ちからHIPHOPとの出会い
TWIGYは1971年に、大学教員の父と弁護士事務所勤務の母のもとに三人兄弟の末っ子として三重県に生まれました。
https://www.instagram.com/p/iMTsJwqu-E/?igshid=14vmf6kcfikrg
幼少時代のTWIGYは小児喘息で体が弱く、体系がガリガリだったことから、小枝(Twig)から文字って「TWIGY」というラッパー名をつけています。
当時、両親が共働きで、祖母の家によく預けられていたTWIGYは芸術家だった祖母の指導のもとで工作や絵を描くことが好きでした。
その後、小学6年生で愛知県名古屋市に引っ越して暮らし始めます。
最初は名古屋に馴染めないと感じていましたが、そのうち伊勢弁で考えていることを名古屋弁に変換して言葉にするようになり、徐々に名古屋に慣れていきました。
TWIGYはこれを「フォントを頭の中で変換する作業」と呼び、言葉をどう発すれば伝わるのかというRAPの原点だといっています。
TWIGYは中学1年生の時に映画「BREAKIN’(ブレイクダンス)」の影響を受けて、ストリートカルチャーのブレイクダンスに興味をもち、その中でダンスのバックミュージックであるヒップホップにハマっていきます。