RITTOが影響を受けた地元のアーティスト
RITTOはDJターシーを中心に、地元のDJたちの影響を受けてラッパーとしての感性を養ってきました。
また、米国基地の外国人と沖縄ラッパーのMCバトルが身近にあったり、外国人が多い影響で流行りの音楽が入ってくるのが早かったり、などの独特な環境があったからこそ、RITTOはオリジナリティーの強いラッパーになれたのです。
RITTOが音楽だけで生きる決意をした
もともとRITTOは他に仕事をしながら、音楽活動と両立させていました。
しかし、「音楽を仕事にしないとスピードが上がらない」ということで、2011年に仕事をやめて、音楽だけで食べていくことを決意します。
RITTOにとって2011年は「ラッパーにならんといけん!」と本気で決意した年でした。
その後、トラックメイカーのOLIVEOILとの出会いもあり、楽曲のクオリティがより高品質なものになっていきます。
RITTOはOLIVEOILが作るトラックについて、「イメージが一番湧きやすくて、言葉がふわっと出てくる」と語っています。
赤土結成と自主レーベル設立
2009年に、RITTOはラッパー仲間と共に、工業地帯で何もない場所の曙地区を拠点にして、ヒップホップクルー「赤土(AKAZUCHI)」を結成します。
赤土に所属するメンバーには、RITTO、HiNaLow、DJ CHEEBA、DJ 4Go-TOがいます。
RITTTOは「曙地区は貧困地域だから、ここから這い上がってやろう!と思う若いやつが出てくる」と語っています。
さらに、自主レーベル「AKAZUCHI.REC」を設立しています。
RITTOには「日本という場所でできることを思い切りやって、そのあとは海を渡って世界中で活動したい」というビジョンがあります。