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さんぴんCAMPでチャンスを掴みとる

TOKONA-Xは1996年に、尾張・名古屋のマーリー・マールことDJの刃頭(はず)とユニットを組んで「刃頭 & TOKONA-X」として「さんピンCAMP」に前座で出演することになります。

当時のエピソードを踏まえて、この頃の日本のヒップホップシーンを少しだけ振り返っていきます。

1994年は、YOU THE ROCK★(ユウ・ザ・ロック)が、フリースタイルでラッパーたちが次々とマイクリレーをする伝説のイベント「BLACK MONDAY」を開始したこともあり、アンダーグランドが盛り上がっていた時代でした。

また、小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギーバック」がヒットし、1995年にはEAST END×YURIによる「DA.YO.NE」というラップの曲がそれに続く形でヒットしていきました。

同じく1995年に、キングギドラの1枚目のオリジナルアルバム「空からの力」も発売されます。

さらに、Buddha Brand(ブッダ・ブランド)がニューヨークから帰国したこともあり、当時の東京は爆発的なパワーを持ったヒップホップアーティストたちが集結していた状態になっていました。

このジャパニーズ・ヒップホップシーンの盛り上がりの熱を残そうと、ラッパーで音楽プロデューサーのECD(イーシーディー)が企画した伝説の野外イベントが「さんぴんCAMP(サンピンキャンプ)」です。

ヒップホップアーティストとして、ラッパーの道を進み始めていた、当時のTOKONA-Xの元に大きなチャンスが訪れます。

名古屋出身ラッパーのTWIGY(ツイギー)と「BEATKICKS」というヒップホップユニットで活動をしていた、トラックメイカーの刃頭(はず)が自身で音楽レーベル「音韻王者REC」を立ち上げたのです。

それを知ったTOKONA-Xは、このレーベルにデモテープを送って、当時の刃頭に「ずば抜けてかっこいいやつがいる」と言わせました。

さらに、そのタイミングで刃頭の元にさんぴんCAMP主催者のECDから連絡が入り、BEATKICKS(TWIGYと刃頭)にさんぴんCAMPへの出演オファーがきたのです。

当時のTWIGYは「さんぴんCAMP」がのちに、伝説のヒップホップイベントとして語り継がれるようになるとは思わず、海外へ遊びに行ってしまいました。

それで困った刃頭が「TWIGYが来ないなら代わりに勢いのあるアイツを連れて行こう」と相方に選んだのがTOKONA-Xだったのです。

さんぴんCAMPの前座としてステージに立った17歳のTOKONA-Xには「名古屋だがや!」と叫んでからラップした、という伝説も残っています。

当時、観客席から見ていたサイプレス上野は「とにかくカッコよくて若い世代のラッパーが出てきて、すげーの出てきたな!みたいな感じだった」とコメントしています。

また、ZEEBRAは「シーンはお前が牙を剥いて、でかくなった。あれがなけりゃ、いつの日にか根が腐った」と歌詞の中で言っています。

ちなみに、当時のさんぴんCAMPに出演していたヒップホップアーティストは、以下の蒼々たる顔ぶれです。

  • ECD (ミュージシャン・主催)
  • 刃頭(HAZU)
  • 大神(BUDDHA BRAND,SHAKKAZOMBIE)
  • BUDDHA BRAND
  • SHAKKAZOMBIE
  • RHYMESTER
  • HAC
  • BOY-KEN
  • UZI
  • キングギドラ
  • T.A.K THE RHYMEHEAD
  • DJ KENSEI
  • DJ KEN-BO
  • DJ YUZE
  • MURO
  • DJ WATARAI
  • GORE-TEX
  • MACKA-CHIN
  • YOU THE ROCK
  • PATRICK
  • G.K.MARYAN
  • GAMA
  • 四街道ネイチャー
  • SOUL SCREAM
  • LAMP EYE
  • MC JOE
  • TOKONA-X

これは、今考えると凄すぎるメンツです。

この「さんぴんCAMP」の中でも、TOKONA-Xのパフォーマンスがどれほど大きな衝撃だったのかが、ほかのラッパーたちの言葉からも読み取れます。

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