「刃頭について詳しく知りたい」
「名古屋のヤバいDJの情報を探している」
この記事はそんな方に向けて書いています。
TOKONA-Xを全国的なラッパーにのし上げたDJで、名古屋の伝説的トラックメイカー「刃頭(ハズ)」についての研究結果を報告します。
この記事の目次
刃頭(ハズ)の情報まとめ【名古屋の最狂音術師と呼ばれたDJ】
刃頭(ハズ)は名古屋市出身の天才的なトラックメイカーで、最狂音術師という異名を持ちます。
刃頭は1987年からDJとして活動をスタートしていて、DJとしてのキャリアは30年以上になる名古屋のレジェンドです。
ラッパーとのヒップホップユニットとしても活動をしており、その主なユニットがこちらです。
- TWIGYとのBEATKICKS(ビートキックス)
- TOKONA-XとのILLMARIACHI(イルマリアッチ)
- DJ KRUSHとのKemuri Productions(ケムリプロダクション)
- YANOMIとのOBRIGARRD(オブリガード)
1991年には、TWIGYと共に6ヶ月間のアメリカ生活を経験し、帰国後、TWIGYは上京してマイクロフォン・ペイジャーを結成しますが、刃頭は名古屋に残って活動を続けました。
1995年からは、DJ KRUSHらと組んだDJチーム「Kemuri Productions」として活動し、ディズニーから世界で初めて正式にサンプリングを許可されました。
これがきっかけで刃頭はディズニーシーでDJプレイをする経験ができました。
1996年には、TOKONA-XとさんピンCAMPに参加したことがきっかけで、ヒップホップユニット「ILLMARIACHI」を結成し、1997年に1stアルバム『THA MASTA BLASTA』をリリースします。
1998年からは、ILLMARIACHIの活動を休止して、ソロ活動に専念し、様々なアーティスト作品のプロデュースやREMIXを手がけていきます。
2001年にはILLMARIACHIの活動を再開し、EP『AIMING HIGHER』やアルバム『The NEWBORN』を発表します。
さらに、刃頭はスティービーワンダーのツアーへのゲスト出演や、愛知万博でのDJイベントでのDJ、日本学生アメフト界最大のイベント「甲子園ボウル」にサウンドプロデュースDJとして参加するなど、活動の幅は多岐にわたります。
2005年に刃頭は自身で音楽レーベル「音韻王者REC.」を立ち上げています。
まわりが語る刃頭の印象とは?
刃頭のことを知るアーティストは刃頭について、次のように語っています。

AK-69「刃頭くんの音って本当にやばいよね。あの人は狂っている。いい意味で変態だよ。まさに最狂音術師だ」
DJ RYOW「刃頭さんは俺が初めて憧れたプロデューサーです。刃頭さんの曲って一発でわかるんですよね。あと、オーラがヤバイです」
UVERworldの克哉「ガキの頃、イルマリアッチがめちゃめちゃ好きで、刃頭さんのDJがヤバイと思った。今でも聴いています」
ILLMARIACHI(イルマリアッチ)の結成
「Young Gunz feat Shigechiyo & Kent」などの数々の名曲を残した伝説のヒップホップユニット「ILLMARIACHI(イルマリアッチ)」のDJを務めていたのが刃頭です。
ILLMARIACHIはTOKONA-Xと結成するのですが、結成のきっかけはさんピンCAMPへの出演でした。
もともとはBEATKICKSの相方であるTWIGYと出る予定でしたが、TWIGYがさんピンCAMPの直前にニューヨーク遊びに行ってしまい、TWIGYの代役のラッパーが必要でした。
刃頭はさんピンCAMPが生半可なステージではないことを知っていたので、会場にいる全員をビビらせるために名古屋でズバ抜けてカッコよかったTOKONA-Xを連れて行きました。
当時、刃頭は名古屋で、DJが2人とラッパーを3グループから集めて結成した音韻王者(オーティノージャー)というグループを組んでいました。
音韻王者の中のひとつのグループがTOKONA-Xと“E”qualのBRAND NAGOYANだったこともあり、刃頭とTOKONA-XはさんピンCAMPよりも前から面識がありました。
刃頭とTOKONA-Xが出会ったのは、TOKONA-Xが17歳くらいの頃で、行きつけのレコード屋で「若いけど面白いヤツがいる」と聞いて、その時に出会ったのがTOKONA-Xと“E”qualでした。
当時のTOKONA-Xと“E”qualのデモテープを聴いた刃頭は「こいつらはイケている」と思い、声をかけたのが2人との関係の始まりでした。
ILLMARIACHIの名前の由来は、さんピンCAMPの前日のリハ終わりにホテルに戻る時に、刃頭が「せっかく2人できたんだからユニット名を考えておいてよ」とTOKONA-Xに言って、次の日にTOKONA-Xが「ILLMARIACHIってどうです?」と提案しました。
当時、刃頭もTOKONA-Xも映画監督のROBERT RODRIGUEZ(ロバート・ロドリゲス)やTARANTINO(タランティーノ)の映画にハマっていました。
そして、RODRIGUEZの作品「DESPERADO」の元になった「EL MARIACHI」という映画を文字って「ILLMARIACHI(イルマリアッチ)」という名前をTOKONA-Xが考えてきたのです。
この抜群にセンスのいい名前に刃頭は即答で「それにしよう」と言い、さんピンCAMPの当日にILLMARIACHI(イルマリアッチ)が誕生しました。
思い入れのある一曲は「今昔物語」
刃頭がILLMARIACHIの楽曲の中で、思い入れのある一曲として「今昔物語」を挙げています。

さんピンCMAPのステージ本番でTOKONA-Xは第一声に「名古屋だがや!」と言うのですが、これは名古屋の先輩ラッパーのTWIGYがBEATKICKSとして東京で初めてライブをした時の第一声でもあります。
TOKONA-Xはこれを知ってたので、さんピンCAMPでの第一声はTWIGYに対するメッセージでもありました。
TOKONA-XはTWIGYを尊敬していいて、ILLMARIACHIのアルバムにはTWIGYに客演もしてもらっています。
当時のTWIGYの存在はとても大きくて、名古屋でラップをやる以上、TWIGYの名前はどのラッパーの頭の中にもチラついているほどでした。
そんな中で、ILLMARIACHIの「今昔物語」は、当時のトップを走っていたTWIGYの後をTOKONA-Xが追いかけてくるという、名古屋の新旧ラッパーの繋がりを感じることができる一曲です。
ILLMARIACHI結成当初の頃はTOKONA-Xのラップスキルはそれほど上手くはなかったが、最後の方になるとスキルも上がって、そこに生々しさと野太さが加わって凄いことになっていきました。
ILLMARIACHIはTOKONA-Xのラップの原点になっているヒップホップユニットです。
刃頭のヒップホップ論とは?
刃図は「純粋に日本人として誇れる音楽をつくりたい」という気持ちが軸にあってDJをしています。

刃頭は自身のヒップホップ論の中に「アメリカに右習えのダサいヒップホップではなく、日本人だからこそ作れる面白いヒップホップを作る」という考えを持っています。
今の若い子たちが「フリースタイルダンジョン」などの番組を通してヒップホップに触れるようになったから、せっかくのその流れをただの流行りで終わらせたくないと刃頭は考えています。
刃頭は「ヒップホップ職人として、若い世代にヒップホップカルチャーの新しい何かを提供するのが、自分の役割だ」と語っています。
ちなみに、ILLMARIACHIの楽曲「NAGOYA QUEENS」はさんピンCAMPのディス曲で、「Younggunnz」はZeebraへのディスの曲でした。
しかし、当時の日本ではまだビーフの文化が浸透しておらず、元々のアルバムでは「NAGOYA QUEENS」はスクラッチでリリックが一部隠され、「Younggunnz」のTOKONA-Xの最後のヴァースは全部書き直させられています。
この二曲のオリジナルのリリックが聴けるのはアルバム「ILLMARIACHI BEATS and ACAPELLA」なので、ぜひお聴きください。
刃頭の人気曲まとめ
刃頭の人気曲をまとめて紹介します。
尾張ヒールズ
Younggunnz
SWORD HEADS
野良犬
フロアカリブ
イキザマ
刃頭の調査結果まとめ
最後にDJ刃頭(HAZU)の調査結果のまとめです。
- 最狂音術師という異名を持つほどの実力者
- TWIGYとはBEATKICKSを結成して活動していた
- TOKONA-XとはILLMARIACHIとしてさんピンCAMPに出演した
- ディズニーシーでDJプレイをしたことがある
- スティービーワンダーのツアーにも参加したことがある
- DJ RYOWがDJを目指すきっかけとなった人物である
DJ刃頭のプロフィール
名前:刃頭(ハズ)
本名:川尻健司
異名:最狂音術師
出身:名古屋市
楽曲提供:TWIGY「その先の向こう」、般若「おはよう日本」、餓鬼レンジャー「GO 4 BROKE」など。
好きな食べ物:きしめん、脂付き牛ホルモン、丸亀の釜揚げうどん、ヤンヤンラーメン、豚豚ラーメン、刃頭家特製餃子、刃頭家特製ジャークチキン、刃頭家特製グリンカレー
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