CHICO CARLITOがMCバトルを始めたきっかけ
その後、唾奇の先輩がMCバトルに出場するということで、チコ・カリートは唾奇に連れられて、そのMCバトルの大会を見に行くことになります。
ちなみに、最初はMCバトルの大会を見に行くことに対して、まったく乗り気ではなかったと語っています。
そして、その先輩が大会で優勝して賞金10万円を獲得したの見た時に「これで10万円貰えるなら俺にもできるわ!」と思い、その日の帰り道からフリースタイルラップを始めました。
このように、チコ・カリートはヒップホップを聴き始めたのとほぼ同時にラップも始めているので、ヒップホップをただ聴いているだけのヘッズの時期はありません。
CHICO CARLITOは吐くほどフリースタイルに没頭した!?
「俺にもできるわ!」と思った1ヶ月後から、チコ・カリートはMCバトルに出場するようになります。
初めてのMCバトルは1回戦負けで、チコ・カリートはその悔しさから一気に火が着き、歌詞を書いたり、フリースタイルをしたりするのに寝れなくなるほど没頭していきました。
フリースタイルをしすぎて吐いたこともあると語っており、自身の性格について「もともとブレーキをかけられなくなるくらいに物事に没頭するタイプ」だとも語っています。
CHICO CARLITOの交友関係
MCバトルを始めた当時のチコ・カリートは、同じ沖縄県出身ラッパーのRITTOやCHOUJIのステージを観て、すごいと思っていました。
沖縄出身ラッパーで最初に遊んでくれたのはCHOUJIでした。
ラッパー仲間の唾奇がMPCを買って、その使い方をトラックメイカーをやっている先輩のスタジオで教えてもらっている時に偶然CHOUJIが遊びにきており、その時に初めてチコ・カリートは自己紹介をしました。
するとCHOUJIが「それじゃあ、ワンメイクするか!」と言ってくれて、先輩が作ったビートにCHOUJIと唾奇とチコ・カリートが歌詞を乗せて曲を作ることになりました。
しかし、この時のチコ・カリートが重症の鼻炎だったので、曲の仕上がりが聴けないほど酷かったと語っています。
飲んで遊んでナンパして、のくり返しだった日々
ラップを始めた後のチコ・カリートは、国際通りに溜まってばかりで、特に何もしていませんでした。
飲んで遊んで、朝帰宅して夕方起きて、また国際通りに行って観光客ナンパして、クラブ行って。そんな毎日をくり返していました。
本格的にラップ活動を始めたのは、沖縄を離れて上京してからだと語っています。
CHICO CARLITOは上京後に本格的な活動を始めた
チコ・カリートは、2013年の春に大学進学のために、沖縄県から埼玉県に引っ越しました。
その後、本格的にラッパーとしての活動を開始するようになります。
大学に通いながらラップしたいと思い、誰も知り合いがいないからネットで情報を調べて、「北千住でサイファーをやってる」という情報をもとに、1人でドキドキしながら参加させてもらうようになったと語っています。
これがきっかけで、MCバトルにも参加しようと思うようになり、上京後に初めて出場したバトルではベスト8まで勝ち進むことができました。
そのバトルで倒したのが、2006年UMB優勝者のカルデラビスタだったので、「ずっと一回戦負けだった自分にも自信がついた」とコメントしています。
それ以降は、MCバトルを続けながら、曲も一生懸命書くようになっていきました。
2014年にMCバトルの大会「戦極MC感謝祭 其の二 ミュージックビデオ杯」で優勝し、チコ・カリートのソロ曲「C.H.I.C.O.」をミュージック・ビデオという形で発表しました。
その後、2015年に「ULTIMATE MC BATTLE GRAND CHAMPIONSHIP」で優勝し、2016年12月7日に1stアルバム『Carlito's Way』をリリースしました。