呂布カルマが名古屋にこだわり続ける理由
全国的に知名度が高くなってきた今でも、呂布カルマが名古屋にこだわり続ける理由は『東京は人口が多くて日本経済の中心で芸術文化の密度も日本で1番だけど、必ずしも東京にいなければ「一流を目指せない」「夢を叶えられない」わけじゃないことを証明するため』だと語っています。
実際に東京で仕事をするようになって、一流のプロとプロの皮を被った子供だましの連中がいることに気づいたとも語っています。
フリースタイルダンジョン でのバトルで呂布カルマは以下のような言葉を残しました。
「HIPHOPで飯を食う、地元に還元する、それが出来ないヤツばかりが『レペゼン、レペゼン』言う。もう聞いてらんねぇよ、俺が地元を飛びだない理由」
「それが出来てねぇのがお前で、俺も輪入も出来てんだ、それが。地元に流した金、それで育つ芽、次は名古屋のヤツがチャレンジャー。お前みたいに1回負けたヤツがもう1回上がってくんな、舐めんな。呼ばれたとかじゃねぇよ。」
「俺の地元のヤツ、次ここに呼ぶ、そん時お前の席はないでしょう」
このように呂布カルマは、名古屋のHIPHOPシーンを盛り上げるために、自分が実績を残して有名になり、地元で飯が食えてないラッパーたちにチャンスの場を与えようとしているのですね。
呂布カルマが語る名古屋ヒップホップシーンとは?
呂布カルマは名古屋に対しての愛着心が強く、「ラッパーの呂布カルマとして少しずつ評価されてきてるけど、まだまだ足りない。それにちゃんと名古屋とセットで、名古屋の呂布カルマとして語られる存在になりたい」と語っています。
ちなみに、呂布カルマの行きつけのバーは名古屋にある「日本酒処 またたび」というお店で、地方から名古屋にきたミュージシャンを連れてきて、日本酒をしっぽり飲みながら熱い話をしています。
呂布カルマは「名古屋は東京や大阪になびかず、自分たちで自分たちだけの文化をつくろうとしている街」であることを気に入っていて、1児の父として子育てをするなら名古屋でしたいと考えています。
まだまだ名古屋のヒップホップシーンの盛り上がりがイマイチと感じており、名古屋出身ラッパーとして「呂布カルマ」の知名度が上がってきた今だからこそ、地元のために何ができるのかを模索し続けている、とコメントしています。
呂布カルマは死後のことまで考えない
呂布カルマは、死んだ後のことまで考えるのは品がないと考えています。
「時代を象徴したラッパー」という感じで、何百年後に語り継がれるのは面白いけど、「死んだ後まで自分の名を残したい」っていうのは、下品な自己顕示欲だと言っています。
「死んだらゼロでいい」「生きている間にしっかり評価してほしい」というのが呂布カルマの考え方です。
絵画の世界にも、死んだ後で評価されるという話があるが、自分の死後に転売ヤーたちに金儲けで自分の作品が使われることを考えると、死んでも死に切れないと言っています。